第8回 人の役に立ちたいinカンボジア 尾上まどか




こんにちは。 尾上陽祐の妻の尾上まどかです。

5月下旬に新婚旅行を兼ねて、カンボジアに行ってきました。


 現地で活動されているジャパンハートの皆さん、西さん夫婦、ムーンさん、本田さん達、私たちが現地で活動しやすい様に、お世話になりました、 共に歩こうファミリーの皆様にとても感謝しております。本当にありがとうございました。
たくさんの方にお世話になりながら、カンボジアで活動(旅)してまいりましたので、 その感想文を書かせていただきます。


○出発前のモヤモヤ
 私でいいのかな。最初にカンボジア行きが決まり、共に歩こうファミリーの活動が出来ると聞いたときに感じたことです。 大阪で生活している私にとって、北九州へ帰省の度に共に歩こうファミリーの活動を聞かせて頂いていました。 もちろん、何かしたいなという気持ちがあっても、なかなか大阪で活動することが出来ませんでした。。。 また、カンボジアの衛生状態や暑さなど全てが不安で、無事帰って来られるのかなと心配ばかりしていました。


○カンボジア到着 
 中国を経由してカンボジアに向かいました。 乗り継ぎの際、天候の影響で3時間ぐらい遅れて出発し、到着も同様に遅れました。 本当は現地時間の夜10時到着の予定が、深夜1時に到着。結構ヘトヘトです。 そして、現地の宿泊先にタクシーを手配していた私たちは、ドライバーさんを随分待たせてしまいました。 夜9時半には空港に迎えに来ていたよと、笑顔で話す彼が、空港以外で始めて話したカンボジア人です。待っている間、イライラしていた様子もなく、話してくれる彼を見て、 この国は、いい国だな、と不安だった心が少し楽になりました。


○ハエとの戦い
 カンボジアの朝食は、フルーツが必ず出てきました。 果物が大好きな私にとって、フルーツが毎日食べられることは、最高です! ただ、美味しい朝食にやってくるのが、ハエ君です。日本では屋外で食事をすることがあっても、ハエが寄ってくることは、経験したことがありませんでした。 私の大事な食事に触れられては困る!と必死になって手で払いながら、食事をしました。 (これから数日経つと、ハエ君に慣れ、恐々手で払う初日の私は卒業し、優雅に手で払い、少々止まっても気にならなくなりました。私の順応力ってすごいな。)


○ネアちゃんと対面
 ジャパンハートで、ネアちゃん(医師を目指す大学生。共に歩こうファミリーとして彼女に支援しています。)と他に医師・看護師を目指す学生たちにお会いしました。 英語があまり得意でない私は、片言の英語と身振り手振りでネアちゃんとお話しました。 私自身、初対面の人には気を張ってしまい、すぐに仲良しになれない性格なのですが、 彼女の笑顔を見ていると、和やかになり、私は支援者の一人ではなく、お友達とおしゃべりしている感覚でした。好きな食べ物の話や、クメール語のイントネーション、私の仕事、旦那さんとの馴れ初め(笑)などなど。


○ネアちゃんは勉強熱心
 彼女たちが通う医大の授業は概ねフランス語で講義されています。 難しい授業の前に、その内容を理解する語学を学ばなければならないことに驚きました。 そして、「授業についていくのは大変なんだ。」と笑顔で語る彼女たちは、食事や日常生活以外の時間は、ほぼ机に向かって勉強しているとのこと。 前向きに努力する彼女たちを見ていると、大学生時代、ろくに勉強をしなかった私は、恥ずかしさを感じました。 それと同時に、現在自分が取り組んでいる仕事に対して、もっと真剣に頑張るぞ!とやる気になりました。

真面目で優しく、努力家な彼女はきっと良い医師になってくれるでしょう。


○シェムリアップ~プノンペンへバス移動
 カンボジアののどかな風景を見ながら、移動できるということで、 片道5時間以上掛かるバスの中では、カンボジアの流行?の歌(映像)がエンドレスで流れておりました。 それに合わせて?大声で熱唱しているおじさん、どの曲も同じようなリズムで、始めこそ止めてくれないかなと、イライラしましたが、次第に慣れ、心地よいリズムでした。


○プノンペン到着
 トゥクトゥクの運転手、ムーンさん(西さんの紹介)がバス乗り場まで迎えにきてくれていました。 軽く挨拶を交わし、バス乗り場から移動しようと、バス乗り場を囲っている塀の扉を開けると、わーわーと10~20人くらいの人が押し寄せてきました。 私は一瞬カバンを盗られるのではないか?と身構え、ムーンさんの後について行き、押し寄せる人々の間を潜りぬけやっと外に出ました。 旦那さんに、「あれは何?」と尋ねると、 「みんなトゥクトゥクの運転手で、お客さんを捉まえようとしているじゃないかな。」と言われました。 「じゃあ、ムーンさんはどうして敷地の中にいたの?」と聞くと、 「お客さんと事前にアポがある人は入れるんじゃないかな。」と言われました。 バスから降りる客は、車かトゥクトゥクで市街地まで移動するため、お客さんの争奪戦が繰り広げられるのでしょう。 そういえば、プノンペンに到着する前にバスの中でガイドの女性がトゥトゥクの事前予約申し込みを受け付けていました。 なるほど、さっきのは、カンボジアらしい光景であったのか、と納得しました。


○カンボジアの市場
 本田さんの施設へのお土産として、カレーライスの材料を市場で購入しました。 市場の中で、お肉売り場は日が当たらない場所にあり、そのままドーンと売り場台の上に肉の塊が置かれています。もしくは、吊るされています。 お肉売り場といえば、日本や欧州などのスーパーで冷蔵庫に入っている所しか見たことが無かった私は、びっくりしました。お肉腐らないのかな・・・?

 カンボジアでは、肉と同様に野菜も計り売りです。 ムーンさんに、「じゃがいもは何キロ?カレーに必要?」と尋ねられ、 普段、野菜を量り売りで購入したことが無い私は(日本では、本数や袋単位で売られているので) 「えー・・・。」重さで聞かれてもわからないよ。困惑し、ムーンさんにお任せしました。


○本田さんの施設、子どもたちと会う
 
 本田さんの施設へ訪問しました。 学校から子どもたちが順番に帰ってきて、少しおしゃべりをしました。 年齢を尋ねると、私(27歳)より5歳年下くらいで、日本の成人を過ぎていることに驚きました。私の想像していた子どもたちは15歳くらいだったので、子どもたちと呼ぶことに少し違和感を覚えました。 カンボジアは義務教育でないため、お金があれば(何歳であっても)学校へ行けるのです。 逆にお金が無い場合は、行けません。 子どもたちが熱心に日本語の授業を受ける姿勢を見て、お金が無くても中学までは行ける、日本の教育制度は恵まれているなと改めて実感しました。


 本田さんの施設へ、初訪問から数日おいて、再度訪れました。 二度目に訪れた際、日本語授業の最後に、子どもたちが結婚祝いの歌を歌ってくれました。 以前、千代ママたちが訪問した際に、同じ曲を歌ってくれたビデオで見せて頂いたのですが、生歌は初めてで、感動しました!! 私たちが訪問するので、練習してくれていたとのこと。 歌詞は理解できませんでしたが、「ハッピヤーヤーハッピヤー、、、」のフレーズが繰り返し歌われ、その部分が私たち夫婦にとって、旅の間、帰国してからもずっと頭の中に残っています。 今でも思い出して口ずさむと、とても幸せな気持ちになります。


○村訪問、わたしでいいのか?
 西さん夫婦に連れて行って頂き、シェムリアップからトゥクトゥクで一時間半くらいの村へ行きました。 目的は、物資を配ることと、困った人(けがや病気など)がいないかの確認です。 私は、共に歩こうファミリーの皆さんが集めて下さった、服や文房具、 旦那さんが職場の高校で生徒さんから集めてきてくれた、文具等を配りました。 配りながら、物資を集めてこなかった私は、いいとこ取りをしているのではないかと、不安になりました。 だって、カンボジアの子供たちはみんなシャイでその笑顔や喜んでくれる姿を直接見て感じることは、何よりも嬉しい気持ちになるからです。 私の不安な気持ちを旦那さんに話すと、 「直接配りたくてもカンボジアまで来れない人もいる。集める人、配る人、両方いないとなりたたへんやろ。お前は配る役目を務めたらいいんやで。」と言われました。 その言葉に不安な気持ちは吹っ飛び、村を回って物を配り、村の人たちと触れ合うことに迷いがなくなりました。


○白色のシャツ照れ
村を回る中で、白いシャツを大人男性へ渡しました。 するとその男性は照れ笑いして、みんなからヤイヤイ言われていましたが、とても嬉しそうでした。 西さん曰く、カンボジアの成人男性は白シャツが正装です。 なので、結婚式に参加する際はスーツではなく、白シャツにズボン(黒とか)らしい。 きっと「どこにお出掛けするんかいな」とか皆からチャカされてたんかなと彼の笑顔を見ながら想像しました。


○こちらこそオークン
 お菓子を渡すと、はしゃぐ子どもたち。 「オークン」ありがとう、と手を合わせてくれる、子どもたち、大人たち。 子供たちは、みんな痩せていましたが、目がとても綺麗でした。 物にあふれて、好きなものを好きなときに好きなだけ、食べたり飲んだりできる私にとって、日頃忘れていた、人間として生きる何か原点(こころ)を教わっているようで、 物を配る中で、私の方こそ、オークン、という気持ちになりました。


○帰国後のスッキリ
 カンボジアへ行く前までは、ボランティアと聞くと、大きな事を成すというイメージがありましたが、実際は人間対人間の関わりであり、一人ひとりにできる事をすることでした。 できる事をするということが、無理をする感じではなく、自然に行うことでした。 例えば、側で雨に濡れている人がいたら、自分の傘に入れてあげる、みたいな感じです。 私にも、できるんやな。


○古川くん、古谷くんへ 
 私は生きていたお二人に会えていません。 会えてたら、どうやったというわけでは無いのですが、、、私が簡単に書いていいのかなと、悩みましたが、古川くんと古谷くんへの気持ちを書かせて頂きます。 今回、カンボジアに行けたこと、共に歩こうファミリーの一員に加われたことで、私は人として大切なことを沢山教えてもらっています。 古川くんと古谷くんのおかげやと思います。 カンボジアへ行く際、旦那さんは二人も一緒に連れて行くと、言葉では話しませんが、そんな感じでした。旅行中や普段の生活でも私たち夫婦は支えてもらっている気がします。 無事に帰国できましたしね。気がするというより、支えてくれてるんやろうね。 いつもありがとうございます。


○これから
 これから私に何ができるのかなと、カンボジア滞在中から考えていました。 まずは、現地で感じたことを日本に帰ってフィールドバックすることです。 今回の感想文も、それに値すれば幸いです。 これまでに書いたこと以外に以下のことを感じました。

①日本では当たり前の常備薬というものがない。置いていない。
②靴をはく文化がない。靴が買えない。
③資源はあるが、使いこなせていない。草や植物が豊富にあります。
④オークン「ありがとう」と手を合わせる習慣が素敵。挨拶も手を合わせます。
⑤みんなシャイ。

 次に、私にできる活動を考えることです。 何か発信することも大切ですし、私ができること、書道が得意なので、それを活かして何かできないかなとか。


体験記というより、私の感想文みたいになってしまいましたが、 これからもカンボジアのために、できる事から取り組んでいきたいです。

文:尾上まどか
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