第7回 人の役に立ちたいin東北 今村福一



「実際に自分の目で見る。」

東北に行くことになり、テレビや新聞を見ただけでは分からない現実を知りたいと考えました。
玉浦地区や閖上、石巻などで線香をあげて回りましたが、その道中、“がんばッと!玉浦”や“ロシナンテス”の方々にはたくさんお話を聞かせていただきました。 やはり生の声を聞くと、より目の前の光景の現実感が増しました。基礎ごと流された家屋、ボロボロになった道路、横倒れになっているガードレール・・・やはり平面的に見ていただけではわからない被害の甚大さを感じました。当たり前ですが、カンボジアの何もない平野とは明らかに違っていました。また、土木を学んでいる 身として、土木は、人命を守ることが最大の使命であることを再確認しました。

半日、ビニールハウスの撤去のお手伝いをしましたが、一緒に行った古川板金の皆さんの頼もしいこと。家主さんが作業の終わった後に涙を流して“ありがとう”と言っていただき、 ただの自己満足かもしれないが、純粋にお役に立てて良かったと思った。近所の人が困っているから助ける、小さなことかもしれないが、こういったことの積み重ねが良いコミュニティー を作るのかもしれないと考えました。玉浦地区の方々と温かさにふれ、それらを余計に感じました。

今回の“人の役に立ちたいin東北”を通じて、色々なことを考え、新たな出会いもあり、巡りめぐってこういった機会を与えてくれた古谷君や古川君にも感謝を伝えたいと思います。ありがとうございました。
最後に “がんばッと!玉浦”の皆さん、“ロシナンテス”の皆さん、3日間、本当にお世話になりました。ありがとうございました! また行きます!



 
文:今村福一
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 You Tubeで震災の様子をたくさん見ましたが、ただ「すごい」という感じでした。 しかし自分の目で見ると想像をはるかに超えていて、そこでやっと震災を感じました。 九州にいてはなかなか聞けない、泥水も飲んだというような食生活、過酷な生活環境など、生の話を聞いて本当に実感しました。

 行くまでは、多くの人が言っているように自分も「津波が来るまでの時間、なぜ逃げなかったのか?」と思っていたが、現地の人から「ここは昔から津波が来ないと言われていた」などの事情を聞いて、初めて納得することができました。

 玉浦は北九州と比べて小さな町。その小さな町だからこそ、横のつながり、上下の関係、親子の関係がすごく深いことを感じ、大切なことだと再確認できました。 1回きりではなく、また必ず行きたいです。これからも引き続き、玉浦の方たちと交流をしていければ、と思います。



 
文:森 隆行
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 北九州に帰って、まず伝えやすい人から伝えていこうと思い、カメラをテレビにつなぎ家族に見せた。それを見た家族がまた誰かに伝えて、というようにつながっていけば、それはとても大切なことだと思う。

  実際に行き、“何もない”という殺風景を目の前に見て、ここに津波が来たんだということを体で感じた。しかし逆に1年でここまできれいになったことには、本当に驚いた。 夜は玉浦の方たちが交流会を開いてくれ、色々な話をしてくれたが、どうしてこんなに明るくいられるのか、自分にとってはすごく不思議なことだった。自分だったら、と考えると想像できない。玉浦の方たちを見ながら、そこに助け合いの雰囲気を感じて、学ぶものがとてもあった。人間はたいていの人が「自分が大事」だと思っていたけれど、玉浦の方たちは、自分のことよりも「自分以外の人の為」という意識が高く、それが自分にとって新鮮だった。 復興に関しては場所の問題等、自分たちが思っている以上に様々な問題があり課題も多いとは思うが、自分たちなりに何かできることがあれば、協力していけたら嬉しい。




文:西岡貴久
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 今回の訪問で、普段できないことができ、とても良い経験ができました。 テレビを見て「すごい」と思いましたが、やはり実際に自分の目で見てみないと、そのひどさも分かりません。 玉浦の人たちは災害があったとは思えないくらい本当に元気で明るく、復興に対してもすごく前向きでした。その力はどこから来るんだろう、と思うほどでした。

 過去に自衛隊の経験があるので、誰かを助けることができるというのはとても嬉しい事です。だからまた機会があればぜひ行きたいです。今回のようなビニールハウスの撤去も、自衛隊の仕事とは少し違うけど“人助け”という意味では原点は似ていると思うので、また協力できることがあるのなら、力になれれば嬉しいと思います。



 
文:田中富之
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 今回被災地を見て、想像以上のひどさに言葉を失った。 テレビとは全く違う景色で、とにかく絶句。 色々な方の話を聞く中で、すごく印象的だったものがいくつかある。 一つは、震災時に消防隊員として救助活動をしていた方の話。 「3歳くらいの犠牲になった男の子の手には、ウルトラマンがしっかり握られていた。その子はきっと、ウルトラマンが必ず助けに来てくれる、そう信じて握っていたんだよね。」 そんなに悲しい話があるのかと、胸がとても苦しくなった。 また、石巻の日和山で何もなくなった被災地を見下ろしながら聞いた話。 「日和山に、不良を20人くらい連れて行きその景色を見せた。不良たちはみんな号泣し、その翌日から半数の人がボランティア活動に一生懸命取り組んだんだよ。」

 今回の震災は他人事ではない。こういった話を聞いて、色々と考えさせられた。 玉浦の方たちはとても強い。その強さがここまでの復興にもつながったのだと思ったら、自分たちも一緒に頑張らなければと自分に言い聞かせた。 また数年後、どのくらい復興しているのか、この前見た景色とまた違う景色を実際に行って見たい。



 
文:今村文昭
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 ものすごく大変な中なのに、皆さんが明るく元気いっぱいな姿を見て逆に元気をいただきました。玉浦の皆さんの津波にあった時の話、またバスガイドさんの話を聞いて、テレビで見るより残酷で、皆さんの心の叫び声がもろに心に響きました。同じ日本でこんな悲しい事があるのをとても残念に思います。自分自身の弱さ、無力さを改めて感じました。でも、被災して1年ちょっとであそこまで復旧しているのを見て、協力してくださった他の人たちの熱い思いもすごいなと思いました。自分自身がもし被災したら、玉浦の皆さんみたいに元気にふるまえるか不安です。でも、これからももし、そういう人の助けになるような事があれば参加したりしていきたいと思います。



 
文:桐原正広
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 震災後、あらゆるところで目にするようになった「がんばろう」のキャッチフレーズを、 そんなに簡単なもんじゃないはず、とずっと、素直に受け止めることができずにいたのですが、 現地で実際にがんばっている人たちの口から聞くと、急にその言葉が意味を持ち始めました。 自分に実害が及ばない限り、どうしても日常生活を優先してしまいがち、というのは、これは誰にもどうしようもないことなのかもしれませんが、それでも現地の方と知り合えば、それは人事ではなくなって、私にとって大切な問題になります。
 
「東北大震災」という言葉を聞いたとき、東北へ行く前までは、なんとなく漠然とした出来事としてしかとらえることができませんでしたが、今では「がんばッと!玉浦」の方々一人ひとりの顔を思い浮かべることができるようになりました。 こんなチャンスを下さった「共に歩こう」の皆さん、「ロシナンテス」の皆さん、「がんばッと!玉浦」の皆さん、本当にありがとうございました。 ひとりでも多くの人にとって、この問題が大切なものになるよう、私の周りの人たちに、少しずつ伝えていきたいと思います。



 
文:重松恵梨子
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