第3回 人の役に立ちたいinタンザニア 熊谷可菜
今回はNICEというNGOのボランティアプログラムを通じてタンザニアに行ってきたのですが、
タンザニアとは・・・?
日本から飛行機を乗り継いで約14、5時間。タンザニアはアフリカ大陸東側、インド洋に面していて、ケニアのお隣。赤道直下ではなく、 ちょっと南寄りで南半球に位置しています。8月終わりってことで日本では猛暑が続いていた時期でしたが、朝・夕は半袖では寒いくらいで 割と心地よく過ごせました。日中は日差しが強く暑かったんですが。
コミュニケーションはというと、タンザニアで使用される言語はスワヒリ語。「こんにちは」の挨拶は「ジャンボ!」。聞いたことある のではないでしょうか?「ライオン」は「シンバ」。私は一応スワヒリ語の本を持って行きましたが、 小学校で英語を習うそうなので、都市部のお店などでは英語が通じました。
民族はおもに130の民族(バンツー系の黒人が97.6%)から構成され、そのほかにアジア(インド)系(0.6%)、アラブ系(0.3%)の居住者もいるそうす。 私にはみんな同じように見えましたが・・・。マサイ族、街中にもいましたよ(≧艸≦)宗教はイスラム教(35%)、キリスト教(35%)、伝統宗教(30%)という構成だそうです。 私はダルエスサラームという大都市の近郊の町に行きましたが、町並みはこんな感じ。
- 孤児院の建物の修復(ペンキ塗替え)
- 子供たちとお話したり遊ぶ この2つがメインの活動(毎日)
- 日本からおもちゃや不用品を持って行って寄付させてもらう
- 別の孤児院の訪問
- 学校訪問・サッカーの交流試合(学校チームvsボランティアチーム)※私は応援担当
現地に着くまでは一人旅でしたが、活動は一人ではなく、このプログラムには世界各国から若者が参加し、日本人も数人参加していたので心強かったですね。もう一つ別に「現地の若者に英語・パソコン指導」というプログラムもあって全部で約20名ほどのメンバーでそれぞれ頑張ってきました。
古いペンキが粉になって舞い上がって・・・頭や顔に降り積もる・・・きれいな白髪に。
そして粉が室内に充満・・・苦しかった。翌日にはペンキをオイル(あれはきっとガソリン)で割って、木の枝で混ぜ混ぜ・・・ローラーでぬりぬり・・・顔や身体、髪に雫がポタポタ・・・。ペンキまみれになりました!!ガソリンで洗い落としました!!ガソリン臭かったです!!
という内容の作業を約10日ほど続け最後にはこんなになりました!!
一日の作業終了後は子供たちと戯れタイム。こんな感じで触れ合ってきました。
子供たちは特に男の子がとてもやんちゃで、私たちのデジカメを奪ってはパシャパシャ・・・カメラ小僧がたくさんでした。 男の子たちとはボールでサッカー風に遊んだり追いかけっこしたりアクティブに遊んできました。 女の子は面倒見が良く、小さな子供を抱っこしてたりおんぶしてたり。大人びていました。おしゃれさんでしたし。 うたを歌ったり折り紙したり、おしとやかに遊んできました。スワヒリ語の練習したり・・・とても楽しかったですよー(*▽*)b゛ 最後の日には私の着てるスヌーピーTシャツとビーサン、いくつかサッカーボールなどをプレゼントしてきました。とても喜んでくれましたよ。
二週目には別の孤児院を訪問この孤児院は小規模だけど温かい、みんなが家族のような雰囲気の孤児院でした。ママがいて、子どもたちみんな仲良し。 歌を歌って歓迎してくれました。私たちもみんなで一緒に大きなボールで遊んだり、ゲームをしたりして楽しませてもらいましたよー。みんないい子でした。 その翌日には学校訪問(日本で言うと中・高等学校くらい)。男性のボランティアメンバーがサッカー対決!!私は応援専門でしたが・・・(^_^;) 白熱してましたよー!!アフリカではサッカーが人気なようで、全校生徒が見守る中、男性メンバー頑張ってました。結果は引き分けだったかな・・・。 試合後、みんなスクールバスに乗って帰ってましたが、最後列の座席の背もたれに普通に座るほど・・・。こんなすし詰めでした。
以上が活動報告です。
私は今回、ペンキ塗りをして孤児院の建物をキレイにしてきました。一日の終わりや空き時間に一緒に遊びました。おもちゃやTシャツを寄付して喜んでもらいました、 私もそれを見て嬉しかったです。他のメンバーも服や靴などを寄付していました。今現在の子供たちにとっては役に立ったのではないかと思っています!!
念願叶いました。タンザニアへ行く前に「これで夢が叶う!!」と嬉しかったです。だけど、実際にタンザニアに行って「コレだけじゃまだまだ足りないな」とも感じました。 ここの子供たちは、いずれ孤児院を出て自分の力で生きていかないといけません。この孤児院にはスポンサーなどなく職員さんも全てボランティア。 運営も楽ではなく、この孤児院では義務教育の小学校を卒業したら、その後は成績が良くないと学校へ行かせてもらえないそう。 学校へ行かないと勉強できず、将来仕事を持つのも簡単ではないでしょう。エイズの正しい知識や情報もしっかりと獲得・理解できないでしょう。 するとまた両親を亡くした孤児が増える・・・。その繰り返し。その悪循環を断ち切ってあげられたら良いのに・・・ともこの経験から感じました。 そんなお手伝いがここには必要だなぁと思いました。
もちろん休日もありましたよ。お休みの日には海へ行ったり車で何時間も移動してサファリに動物を見に行ったり。 世界の若者と交流して、浴衣を着て日本を紹介して私の得意な書道を披露・ボランティアメンバーに体験してもらったり、 たったバケツ一杯のお水で頭から足の先まで洗えるようになったり、蚊帳の中で寝たり、ウガリ(とうもろこしの粉をお湯で捏ねたもの)を食べたり、 人の役に立つ以外にもいろーんな経験をさせてもらいました。
それもこれもフルのおかげ。誰にも言ったことなかったのですが、この旅は他のだれでもないフルが連れて行ってくれたものだと信じています。
だってね、「私の夢、実現させよう」と思え始めたのはフルがいなくなってから。「フルのかわりに実現しなきゃ」とずっと思っていました。 また、私が利用したNICEとの出会いも運命的。たまたまネットを見ていてやっとよさそうなボランティアプログラムを見つけて、説明会に行ってみるとそこに居たのは大好きな高校の先輩。 私はビビリで疑り深いもんで説明会に行く前は「ホントに大丈夫かな?」と心配してたけど、 顔見知りの信頼できる先輩がスタッフだから「信頼できるな~」と安心して行くことを決意することができました。
そして実際、孤児院に初めて行った日に子供たちが日本語で歌を歌っていました。 スピッツの「チェリー」と・・・「翼をください」。フルの葬儀で歌ったあの曲です。前に来た日本人が教えていたのでしょう。ついに夢が叶うっていうときにコレを聞いて、 それまでのいきさつとかを思い出しながら、「翼をください」という曲の形でひょっこりとフルの影を見た気がして「ああ、フルの仕業だな~」と心から思ったし、 涙が出ました。姿が見えなくなってもみんなに力を貸してくれるんだね~。 フルのおかげで夢叶ったよー!!フルありがとう。
文:熊谷可菜