東北震災地旅行
今から6年前の2011年は、私にとっては忘れられない年です。
この年、二つの衝撃が私を襲っています。一つが、未曾有の大震災となった「東北大地震」ですし、もう一つが息子・恵一の突然死でした。
恵一が亡くなったのは、2月16日のことです。それから一か月も経たない3月11日に起こったのが、 あの大地震でした。あの日はもともと、私ども家族にとっては特別の日でした。
「共に歩こうファミリー」の一人で、「お仏壇のはせがわ」に勤める岩本弘君の案内で 、恵一の墓地見学に初めて行く予定になっていたのです。 それが夕方のことで、それまでの時間、何気なくテレビの国会中継を見ていたときのことです。確か、当時の菅直人首相が答弁をしていたような記憶があります。 その途中、揺れが始まったようで、菅さんが答弁を中断し天井の電灯の揺れを見上げるような仕草をしたのです。 その時は、そのことにほとんど気を留めず墓地の見学に出かけたのですが、帰宅した後のニュースで言葉も出ないような大惨事になっていることを知りました。 私にとっての2011年3月11日は、このように亡き息子に繋がる鎮魂の日なのです。
その東北に、「共に歩こうファミリー」の皆さんと出かけたのは、10月21、22日のことでした。ご一緒したのは、 尾上代表のお父さん、古川ママ、古川さんの会社で実習中のカンボジア人・トラーさんとチャイリアンさん、 それに私共夫婦で、名古屋から佐合よし子さん、東京からは今村福一・副代表も駆けつけ、合計8名の参加でした。折からの台風接近もあり、 仙台空港には冷たい雨が降っていました。バスに揺られながら、ガイドさんの話に耳を傾けます。「津波がここら辺まで押し寄せました」「あちらの地域はほぼ全滅状態でしたが、こちらの地域は道路が堤防の役目を果たし被害が少なくてすみました」などなど、説明が続きます。「気の毒に」「大変だったろう」という思いがこみ上げてきます。もちろん、今はガレキなどは残っていません。一見すると、ここがあの大震災の被災地なのか、と思えるほど、ほとんどのところが整備されているようにみえました。この思いは、仙台だけでなく石巻でも岩沼でも同じでした。「復興は順調に進んでいる。良かった」。 しかし、あれから、6年半、経っているのです。考えてみれば、それもそのはずです。私の頭には、当時の映像が焼き付いていて、漠然と比較しながら、「あぁ、順調だ。良かった」 と、単純に思っていたのでした。私は、この間、東北の方々がどのような苦労をされ、どのような思いで過ごされてきたか、ほとんど知らないのです。
東北の方のお気持ちに触れたと思えたのは、夕食会の席でした。東北の郷土料理が味わえるお店で、 岩沼にお住まいの武田さんご夫妻と楽しいひと時になりました。奥様とは、カンボジアにご一緒したことがありましたが、 ご主人にお目にかかるのは初めてです。嬉しいことに、ご主人はお酒がお好きなようで、九州の焼酎を何杯もお代わりされています。 お返しとばかり、尾上さん、福一君、私とで、ご主人お薦めの東北の日本酒を味わいました 。これがまた、仙台名物「牛タン」に合うのです。酒が進むにつれ、ご主人の舌も滑らかになり、いろいろなことを話してくださいました。 中でも、私が印象に残っているのは、「自分たちのことは自分たちでやる。国がどうのこうのではない」という気構えでした。 こういう気構えはなかなか持てないと思います。 ましてや、あの大惨事のあとなのです。こちらの方のこういう地に足のついた姿こそが東北を支えているのだろうな、と感じたものでした。
お会いした東北の皆さんには、同じように地に足のついた姿を感じました。 岩沼の「千年希望の丘」を案内して下さった富勝さん、石巻の「日和山公園」のガイドさん、それから2日間案内して下さった観光バスのガイドさん、 どの皆さんも熱心に、時にユーモアをまじえながら、この6年半を語られる姿が印象的で、東北の姿をしっかり伝えたいという思いが強く伝わってきたものでした。 東北の皆さん、本当にお世話になりました。一日も早い完全復興を九州の地からお祈りしております。お元気でお過ごし下さい。
文:古谷俊雄
とうほくの ふつかかんのかんこう
にほんの みやぎけんに いったことは はじめてです。
ふくおかから ひこうきで2じかんぐらい かかりました。
ふくおかと せんだいくうこうは おおきくて とてもきれいです。
せんだいくうこうに ついてから とうちゃくぐちで わたしたちを むかえているガイドにあいました。
それからバスにのりながら ガイドがいった2011ねんにおこった じしんかんれんの はなしをききました。
でもわたしの にほんごが へたなので ちょっとできました。さいしょはわたしたちが6にんだけいました。
せんむさん、おのうえさん、ふるたにさん、ふるたにさんのおくさん、わたし、チャイリアンです。
でもせんだいえきで よしこさんと ふくいちさんに あって いっしょに かんこうをつづけました。
いちじになって いっしょに ひるごはんをたべました。いろいろな りょうりが たくさんありました。
そのりょうりは とてもおいしかったです。ビールもおいしかったです。
それから いしのまきのじしんで おおきい そんがいをうけたばしょに いきました。
そこでたくさんの こわれた いえをみて とてもざんねんです。
ガイドはじしんがおこったとき なみのたかさは13メートルになったといいました。
そして いのちと ざいさんをうしなったことは おおいです。
わたしたちは しずかに ししゃの たましいのために いのりました。
そこには おおきく がんばろう!いしのまき をかいてあります。
5じ30ぷんぐらいホテルにかえりました。
ちょっとやすんだあと レストランにいきました。
しょくじのときは とてもたのしかったです。
レストランで たけださんと ひろこさんは たくさんはなしましたが わたしはぜんぜん わかりませんでした。
そのころ みなさんがいったことを りかいしていないことを はじて かんじました。
ふつかめは いわぬまにいきました。
とみかつさんは わたしたちに くわしく いわぬまのことを あんないしました。
いわぬまのじしんが おこったばしょでも ししゃの たましいのために いのりました。
わたしは ひがいしゃと ししゃのかぞくメンバーに こころから あいとうのことばをのべます。
わたしのくにには じしんが おこったことがありません。とうほくのかんこうは とてもよかったです。
せんむさん わたしたちを つれて かんこうしてくれて ありがとうございます。
みなさんも どうもありがとうございます。
文:パン・トラ
文:フォン・チャイリアン