ヒトとヒトとの和がヒトを幸せにする
このページは、みんなの想いを集めたページです。
たくさんの思い出。これからの道。いろんな想い。
大切な人を亡くして感じたことや成長したこと。
古川和幸を知る人も、知らない人も
仲良しだった人も
会ってみたかったという人も
たくさんの人の、たくさんの声をここに紹介していきたいと思っています。
そして
ちょっとずつ 人に優しく
ちょっとずつ 人の役に立っていけたら
私たちは幸せです。
○小倉高校時代の親友、古谷君からかずママに届いたメール
○清心保育園時代の親友、久史君からかずママに届いたメール
○福岡大学時代の友人からかずママに届いたメール
○清心保育園時代の友人よりかずママに届いたメール
○カンボジアで知り合ったまあちにあてたメッセージ
(岩本弘君&古川パパ&平部めぐみさん&熊谷可菜さん&尾上陽祐君&石田宣靖君からです。)
ママ「みんなで集めてお墓の横にドラゴンボールの記念碑建てるらしい。古谷君の言葉 墓石に彫ってもらおう!なんて彫る?」
いまちょうどメールしようとしてました!!さんざん迷った結果、シンプルに「共に歩こう」。これでお願いしたいです。古川がいなくてもずっと一緒に生きていこうと思います。
おばちゃん、お疲れ様。 実は今でも信じられないんよ、かず死んだ事は・・・。
非常に重い・・・。辛い
同じ歳の人間で小さい頃からの仲だから尚更。
まさか同じ歳が急に死ぬなんて考えもしてなかったから受けいれられなくてね、非常にかずの死が重い。
俺ね後悔もしとる。もっといっぱい会って、話しをして、遊んだりすればよかった。
ありきたりな感情だけど ホントにそう思う。
だけどかずが無くなって色々考える事ができたよ、言い方を変えれば、悪いけど友人の死によって人生勉強にもなった。
俺の周りでかず程、夢に向かって、親に迷惑かけて、友達に心配され、周りの人間からなんだかんだと言われ、それでも諦めんで突っ走っていってる奴はいないよ。皆プレッシャーに負けてる
かずは、すごい精神力と体力と思う。あいつは凄い!!
だからかずと同じ時間を生きとる俺達は、かずの「意思の強さ」を学んで、生きて進まないとね。
おばちゃんに応援されて 嬉しいし、俺がもっともっと頑張る力をもらってるから、俺の将来も楽しみにしとってね☆
そして共に歩こう!!
きつくなったら空を見上げてかずの顔を描いてみるね。
じゃあ十一月また会おう ☆必ず行くね。
夜分遅くにごめんね、おやすみなさい。
非常に重い・・・。辛い
同じ歳の人間で小さい頃からの仲だから尚更。
まさか同じ歳が急に死ぬなんて考えもしてなかったから受けいれられなくてね、非常にかずの死が重い。
俺ね後悔もしとる。もっといっぱい会って、話しをして、遊んだりすればよかった。
ありきたりな感情だけど ホントにそう思う。
だけどかずが無くなって色々考える事ができたよ、言い方を変えれば、悪いけど友人の死によって人生勉強にもなった。
俺の周りでかず程、夢に向かって、親に迷惑かけて、友達に心配され、周りの人間からなんだかんだと言われ、それでも諦めんで突っ走っていってる奴はいないよ。皆プレッシャーに負けてる
かずは、すごい精神力と体力と思う。あいつは凄い!!
だからかずと同じ時間を生きとる俺達は、かずの「意思の強さ」を学んで、生きて進まないとね。
おばちゃんに応援されて 嬉しいし、俺がもっともっと頑張る力をもらってるから、俺の将来も楽しみにしとってね☆
そして共に歩こう!!
きつくなったら空を見上げてかずの顔を描いてみるね。
じゃあ十一月また会おう ☆必ず行くね。
夜分遅くにごめんね、おやすみなさい。
私の方こそ、古川君の元気さや、類い稀なボランティア精神、行動力にいつも驚かされ、私自身の原動力になり、彼には本当に感謝しています。いい友に巡り会えたとうれしく思っておりました。一緒に卒業できればどんなによかったことか…悔やんでも悔やみきれません…
古川君と過ごした時間、会話、貰った本、など想い出が山とあります。私は、病気と最期まで全力で闘った彼の分まで、この想い出を胸に生きて行きたいです。
お母様、お体に気をつけて。
古川君と過ごした時間、会話、貰った本、など想い出が山とあります。私は、病気と最期まで全力で闘った彼の分まで、この想い出を胸に生きて行きたいです。
お母様、お体に気をつけて。
俺達頑張るね。結果はわからないけど、良い大人になって、いつまでもかずの事は見本にして生きていくね。見本にするべき内容は人それぞれ違えど・・・
遅くまでごめんね、おやすみなさい。
遅くまでごめんね、おやすみなさい。
私たちがカンボジアの地雷博物館を訪れたとき、そこでボランティアガイドしていたまあちが自身のブログで共に歩こうの活動を書いてくれました。
それを読んだ仲間がまあちに宛てたメッセージを紹介します。
岩本弘君&古川パパ&平部めぐみさん&熊谷可菜さん&尾上陽祐君&石田宣靖君からです。
それを読んだ仲間がまあちに宛てたメッセージを紹介します。
岩本弘君&古川パパ&平部めぐみさん&熊谷可菜さん&尾上陽祐君&石田宣靖君からです。
岩本弘君からのメッセージ |
はじめまして。古川の小学校からの親友で、共に歩こうメンバーの影の役員ひろしです(笑) なかなかコメント出来なくって今さらのコメントになっちゃってすみません。 それと、古川の事や共に歩こうの事、たくさんの想いが詰まったブログを書いて頂き本当にありがとうございます。 小学校の頃、家がすぐ近所だった僕は毎朝古川と一緒に山道を歩いて学校へ行き、毎日毎日一緒に遊んでました。 おばあちゃん家でファミコンしたり、近くの公園でサッカーしたりドッジボールしたり、川で夜まで遊んだり…今でも当時の事を夢でよく見ます。 姿かたちは無くなってしまった古川だけど、まあちさんのブログを見てると、皆の心の中にずっと生き続けてるんだなって実感させられます。 今みんながこうやって集まってるのは不思議なご縁かもしれませんが、きっと古川が導いてくれた必然の出会いなんだと思います だから、是非これからも古川の事や古川ファミリーの事、共に歩こうの事、よろしくお願いします! P.S. 先日はわざわざ福岡まで取材に来て下さったのに、お会い出来なくてすみません。 是非また機会があれば福岡まで遊びに来て下さい☆ ひろし |
和幸の父です。 カンボジアの話を聞きました。そしてブログ読ませてもらいました。 そしてまた、泣かせてもらいました。和幸がいなくなって涙を流す事って意外と難しくないんだと気付きました。 いなくなったあとに、後悔はたくさんしたけど、いろんな人が和幸の事を話してくれる。 知らなかった人が和幸を通して仲間になってくれる。和幸だからこそだと思います。 病院で「俺でよかった」って聞いた時は涙が止まりませんでした。 知らない事が多すぎました。してやれなかった事を上げれはきりがない。 でも、貰ったものは忘れません。お父さんの子に生まれてくれてありがとう! 和幸の事を知ってくれてありがとうございます!これからもカズママや千代をよろしくお願いします。 私も是非カンボジアに行きたくなりました。来年くらいにはと思います。 自分に今出来る事をしたいですね。何が出来るのかはわかりませんが? 和幸が一人いなくなったあと息子や娘がたくさん増えました。 新しい息子や娘と共に和幸の意志をついで、今自分に出来る事を考えて行きたいです。 これからもまあちさん 頑張って下さい。 |
ブログ読ませていただきましたあたしは古川和幸君の友達の1人です フル君と会ったこともなく、話したこともない方がフル君のことを思ってくださることが本当にうれしい限りです 彼は本当に私が今までの人生で出会った人の中で1番尊敬する人でした。 彼みたいな人はこれから先の人生でも会うことができないと思います。 彼はいつも自分のことよりも相手のことを優先に考える人でした。 彼の手術前夜、彼はあたしに「他の誰でもなく、おまえでもなく俺でよかった」と泣きながら言ったんです。 自分は脳の手術という強い恐怖がありながら…。本当にすごい人だと思います。 私は彼からたくさんのことをしてもらったのに、私は何もしてあげられないままになったことをすごく後悔しています。 だから私は私のできることを彼にこれからしていくつもりです 彼を通じ、顔も合わせたこともない友人達が1つにまとまって新たに仲間になることが、 本当に彼の力はすごいなとつくづく痛感します。 その仲間の1人が彼に向けた寄せ書きに 「ヒトとヒトとの和が、ヒトを幸せにする」 と書いていました。そう=和幸です。それを見て私は感動しました そんな彼を思うまあちさんももう私達の仲間ですね 彼のくれた絆を大切にして「共に歩いて」いきましょう!! めぐみ |
はじめまして。
和幸くんの友人のクマと申します。 かずママにこのブログを紹介していただきました。 ブログの写真にも映っています(^^)v 私は今ある医療職に就いているのですが、彼の闘病中、友人としても医療人としても 彼の力になれなかったことすごく悔やんでいます。 また、私も五年前にくも膜下出血で生死をさまよい、そのときは彼もすごく心配してくれたと聞いていました。 なのに私は彼が生きてるうち、闘病中に何もしてあげられなかったのです。 正直、なぜ私が生きてて彼がいないのだろうと思うことがあります。 私より彼がいればよかったんじゃないかなぁと思ってしまいます。 彼がいない今、私ができること、すべきことは、医者という夢が叶わなかった彼の代わりに私が医療人として 人の役に立つことではないかと思っています。 働いていればきついことたくさんあります。辞めてしまいたいと思うことがよくあります。 だけど、そのたびに彼に励まされています。頑張ろうと思えます。 今の私があるのは彼のおかげです。 私も、いつか彼のところに行く時まで、彼と一緒に歩いていこうと思っています。 大事な大事な友達です☆ クマ |
はじめまして。 古川の友人であり、古川ママの第2の息子でもある尾上と申します。 古川のこと、ブログに書いていただきありがとうございました。 コメントも読ませてもらいましたが、今回の「たまたま」は確実に古川がもたらした「必然」です。 古川はまあちさんを選んだんだと思います。 なぜなら・・・ まあちさんは古川のタイプだから。(笑) これは親友の僕だからわかることです。 これはまあ半分本気、半分冗談ですが、ブログを読んだだけでまあちさんの「陽」のパワーを感じます。 ご家族の写真を見て思いましたが、人の笑顔の写真を撮ることのできる人は、人に笑顔をもたらすことのできる人です。 そんなまあちさんを古川は選んだんだと思います。 ですから、古川全権委任大使である僕がまあちさんを勝手に共に歩こうファミリー認定します!(笑) 近いうちに福岡に来ていただければうれしいです。 P.S. コメントの中でまあちさんは古川と話したかったと書いてらっしゃいますが、それは残念ながら無理です。なぜなら、彼はシャイだから(笑) P.SのP.S 「和幸」という名前のこと、今まで僕も考えたことがありませんでした。本当にその通りですね。ハっとして感動しました。 オノウエ |
ふると小学校、中学と一緒だったのぶといいます。 ブログ読ませてもらいました。ふるを知っている人も、またふるを知らない人も、このブログでそれぞれの思いを知り、つながれるってのが素敵やなとおもいました。 僕は海外にいたため、ふるが亡くなったことを半年以上たってから知りました。 でも、海外に行く前に、ある友人からふるの病気のことは聞いていました。そしてお見舞いに、千羽鶴を折ろうと誘ってもらったんです。 その時はそんなに重い病気だなんて思いもしませんでした。 せっせと折った鶴は、結局わたす暇なく、僕の机の上においたままになっていました。 そのまま僕は海外に行き、帰ってきたときにふるはもういませんでした。 先日、ふるのうちにお参りさせてもらいました。ふるのおばちゃんに、わたせなかったあの折り鶴の後悔をはなすと、「その後悔を忘れずに、残されたものが共に何かを伝えていこう」といっていただきました。 ふるにはもう会えないけど、ふるが繋いでくれたみんなと自分もまた共にあるいていけたらと思っています。 のぶ |